探検家たち

ノルウェーの二人の偉大な極地探検家、フリチョフ・ナンセンとロアール・アムンセンは、歴史上偶然にも同じ時代に現れました。アムンセンはナンセン誕生11年後の1872年に、ノルウェー南東部のサルプスボルグの町の近くで生まれました。アムンセンは医者になるはずだったのですが、それをやめて極地調査に一生を捧げることを決めました。航海士としての資格を持つ彼は、まず北極海の商船の乗組員として働きましたが、やがて「ベルギカ号」の一等航海士として雇われ、1897年から1899年にかけて南極の冬を初めて過ごすことになりました。 更に読む

フリチョフ・ナンセンは1861年に生まれました。そのとき地球上に未発見の陸地はすでになく、世界地図の輪郭は事実上確定していましたが、ナンセンの寄与により、地図はより詳しいものになったのです。 フリチョフ・ナンセンは科学者であるとともに政治家であり、またノーベル平和賞を受賞しました。人道援助に貢献し、第一次世界大戦後、何千人もの命を救いました。しかしナンセンは、自分が何よりもまず探検家であり科学者である、という意識を強く抱いていました。彼にとってその役割を果たしているときが最も幸せだったのです。 ナンセンの家系には、国に大きく貢献した人物がいます。父方の祖先であり、コペンハーゲン市長を務めたこともあるハンス・ナンセンで、彼は白海を探検しました。未知の地を探りたいという同じ気持ちに駆り立てられ、ナンセンはわずか26歳の若きで万年雪に包まれたグリーンランド横断の遠征に出かける決意をしました... 更に読む

最もよく知られたノルウェーの現代の「探検家」であるトール・ヘイエルダールは、私たちの最古の祖先の文化を探りました。彼が探求し発見しようとしたのは地理ではなく、歴史の分野でした。 ヘイエルダールは、1914年にノルウェー南部の海岸にあるラルヴィーク(Larvik )という小さな町に生まれました。彼はポリネシア、アメリカ大陸、東南アジアから得た民族学的・考古学的な資料を徹底的に研究しました。その結果、ヘイエルダールはそれまで信じられていた理論を覆し、ポリネシア人は東南アジアからではなく、アメリカから移り住んだという理論を提唱しました。 自分の考えが冷淡な扱いを受けたヘイエルダールは、自説が正しいことを自ら証明することにしました。有史以前から南米のインディアンが作っていたのと全く同じバルサ材で、航海用のいかだ船を作りました。1947年、ヘイエルダールはその船で6人の乗組員と共にペルーのカヤ... 更に読む

ノルウェーの海岸は長く入りくみ、フィヨルドは陸地深く切れ込んでいます。有史以来、海の眺めと波の音はこの国に住む人々の心を捉えてきました。陸地での生活は粗末なものでした。小さな畑を耕しながら人々は海を眺め、あの水平線の彼方にはもっと豊かな食物があるに違いない、もっと肥沃で気候の穏やかな土地があるに違いないと夢見たとしても、不思議ではありません。先史時代、ノルウェーに勇敢な探検家がいたかもしれませんが、その記録は残されていません。初期の発見について何らかの記述があるとすれば、歴史が記録される時代になってからのことです。ただ旅の様子を記録するようになっても、それが未知の世界への初の冒険などと記述することはほとんどありませんでした。 ローマ帝国が崩壊した後、中世ヨーロッパでは教会が唯一権力を統合していましたが、その教会は人々の冒険や好奇心をかきたてることはありませんでした。地理についての当時... 更に読む

初期のヴァイキングはわずか数隻の船で襲撃をしていましたが、徐々にその数は膨れ上がり、西方のイギリス、スコットランド、フランス、アイルランドといった国々に向かうようになると、その数は数百隻を数えました。彼らは襲撃者・略奪者としてしばしば来襲し、沿岸地域に大きな恐怖を巻き起こしましたが 同時に商取引や行政の仕事も手がけていました。ダブリンのような町や、フランスのノルマンディのような植民地を各地に築きました。879年から920年までの間に、まずアイスランドを植民地とし、そこを拠点として更にグリーンランドに植民しました。 赤毛のエイリク(Eirik the Red)として知られるノルウェー生まれのエイリク・トルヴァルドソン(Eirik Thorvaldsson)が、986年にグリーンランドの南西部を探検し入植しました。彼の息子のレイフ・エイリクソン(Leiv Eiriksson)は、北米大陸... 更に読む