1814年までのノルウェー

西暦1130年はノルウェーの歴史上の重大な分岐点です。それまで平和だった時代がこの年に乱れはじめ、紛争と内戦がその後1227年まで続きます。 1130年は別の意味でも特別な年でした。人口が増加し、教会が統合強化され、区町村制度が出現し、発展した中世全盛期の始まりの年と考えられています。国王と教会が次々に郡区を支配下に置くにつれ、行政と権威の機能が増強されました。現代の歴史学者によれば、この時期を経過することにより、ノルウェーは初めて単一の国といえるようになったのです。 1100年代から1200年代にかけて君主制の権力が増大し、教会と封建領主を凌駕するに至りました。伝統的な世俗貴族に代わり、君主に仕える貴族が現れました。この時期に小作農民は、土地所有者から借地人に姿を変えました。しかし、ノルウェーの小作農民はほとんどの場合、生涯にわたる借地権を与えられていたので、当時のヨーロッパにおい... 更に読む

現在のノルウェーに人が住み始めたのは先史時代の黎明期で、当時内陸に広がっていた大氷原がスカンジナビアに後退しはじめていました。今日のノルウェー人の先祖は数万年の昔、北部を旅しながらトナカイなどを狩猟して暮らしていました。その頃は数世紀にわたって地上に氷原の重みが加わっていたので、海面が現在よりも200メートル高くなっていました。人類の活動を裏付ける最古の証拠が見つかったのは、南部のスウェーデン国境近くにあるØstfold県の南東部の丘陵地です。当時その丘陵地は、氷河の先端の少し南の沖に浮かぶ島だったと考えられます。 今日のノルウェー人の祖先の出身地や彼らが北へ辿ったルートについての定説はありませんが、これらのルートのひとつがØstfoldを通過したことはほぼ間違いありません。スウェーデン南部およびデンマークで発見されたのと同じ種類の遺物が発見さています。もう一つの可能性として、北海大... 更に読む

中世後期、ノルウェーでは経済の衰退がみられました。人口はすでに14世紀の間に、ペストなどの伝染病のために激減していました。辺境地の多くの農地は荒廃し、収穫は減少しました。歴史学者の中には、気候の悪化やハンザ同盟による束縛が経済の衰退を招いたとするものもいますが、農地が少しずつ疲弊していったために、事態が悪くなったという説もあります。 経済の停滞は政治にも影響を及ぼしました。デンマークが北欧の主要国として重要性を増し、デンマークとドイツの貴族が、官職の最上級の職に就くようになりました。土地と司教邸が外国人の手に渡り、ノルウェーの貴族は力を失いました。こうしてノルウェー民族として自己主張する力は徐々に奪われていきました。 1450年以降、デンマークとの連合が条約により確定しました。この条約では、君主の選任の際はノルウェー王国評議会(the Norwegian Council of the... 更に読む

ヴァイキング時代の到来と共にノルウェーの先史時代が終わりました。書き残されたものがないため、この時代についての知識は大部分が考古学による発見に基づいています。また、サガ(歴史年代記)からこの時代について知ることもできます。サガは世代から世代へ語り継がれた話に基づいて後に書きとめられた書物です。こうしてみると、ヴァイキング時代が間違いなく北の先史時代で最も豊かな時代であったことがわかります。 多くの学者が、イギリス北東海岸沖のLindisfarne修道院略奪(793年)をヴァイキング時代の始まりと見ています。今日もヨーロッパ西部および南西部の一部では、ヴァイキングは炎と剣をかざして人々を震え上がらせた残虐な略奪者だったと考えられていますが、このすべてが真実というわけではありません。ヴァイキングは貿易や入植という平和的な目的も果たしていました。ノルウェーのヴァイキングはオークニー諸島、シ... 更に読む