「フリチョフ・ナンセンの一生(Only one life)」上映 (大使スピーチ)

最終更新日: 11/10/2011 // UNHCR難民映画祭におけるフリチョフ・ナンセンのドキュメンタリー映画上映に際し、ウォルター大使がスピーチを行ないました。


UNHCR 難民映画祭
ノルウェー王国大使館・アークティックホール
2011年10月6日

「フリチョフ・ナンセンの一生」(”Only one life”)

「Only one life」は、ノルウェーの英雄、フリチョフ・ナンセン(1861年~1930年)の多彩な人生を描いた映画です。フリチョフ・ナンセンは、探検家、科学者、人道主義者、国際人、そして外交官として生涯にわたり幅広く活躍しました。また国際連盟の初代難民高等弁務官も務めています。国際連合の前身である国際連盟は、より良い世界の構築を目指して創設された国際組織でした。1人の人間が1度の人生でこれほど多くの活動をするには、大志とたくさんの勇気が必要です。まして、その全てにおいて偉業を達成したのですから、これは実に素晴らしいことだと思います。

今日は、フリチョフ・ナンセンの生涯と功績を描いた映画の上映会のためにノルウェー王国大使館にお越しいただき、どうもありがとうございます。こうした形で日本開催の第6回UNHCR難民映画祭に貢献できることを光栄に思います。特に今年は「難民の地位に関する1951年条約」の締結から60周年、また日本がこの重要な条約に加盟して30周年の節目に当たる年ですのでなおさらです。そのうえ2011年はフリチョフ・ナンセンの生誕150周年でもあります。


極地域への情熱

今日、お集まり頂いたこのホールが「アークティックホール」と名付けられたのには理由があります。この名前は、ノルウェー人の極地域への情熱を反映しているのです。ノルウェーは、北極と南極の両極に関して長い伝統、関わり、関心があります。私たちノルウェー人は極地域に魅せられてきました。世界で最も自然の残されている地域、氷と寒さによって人的干渉から長きにわたって守られてきた地域として、極地域には独自性が保たれています。また極地域には莫大な天然資源もありますが、その自然環境は壊れやすいことも忘れてはなりません。

日本ではどうすれば国民的英雄になれるのか、私には分かりません。ですがノルウェーでは、極地域への情熱を追求すれば英雄になれるはずです。もちろんこれを実行するのは簡単ではありませんが、ノルウェーには極地域の英雄が男女を問わず多数います。フリチョフ・ナンセンは1889年に世界で初めてグリーンランドをスキーで横断しました。更にその6年後には世界で初めて北極点到達に成功する一歩手前のところまで近づきました。

ロアール・アムンセンという、極地域に魅せられた別のノルウェー人が1911年に犬橇でイギリスのロバート・スコットに競り勝って南極点に初めて到達し、かの地にノルウェーの旗を掲げました。今年はこの快挙から100周年でもあります。アムンセンは後に1926年に、飛行船というより快適な方法で北極点にも到達し、世界で初めて両極点を制覇しました。

皆さんもご存じのように、ノルウェー人は男女平等であることに誇りを持っています。極地域への情熱においても男女平等に変わりはなく、ノルウェーの女性探検家リヴ・アルネセンは1994年に単独でスキーで南極点に到達した世界初の女性となりました。

フリチョフ・ナンセンはその生涯において、大半の人には想像もできないほどの偉業を成し遂げました。科学でも人道主義の立場でも重大な成果を人類に残したのです。彼は動物学を専門としていました。ナンセンは自然への愛情やアウトドアライフへの関心から海洋学(海洋の動き)その他の自然科学にも興味を持つようになり、極地域への情熱を更に深めていったのです。

グリーンランドを世界で初めてスキーで横断したことでフリチョフ・ナンセンは有名になりました。ナンセンはイヌイット(エスキモー)の人々の文化について書き残しています。更に後に、北極は海上に浮遊する氷でできており、氷に覆われた陸塊である南極とは異なるとの自らの理論を証明しました。シベリアから西へと氷が北極を越えて流れていることを証明したのです。彼はフラム号に乗船して1893年6月にノルウェー北部を出港、シベリアを経由し、流氷に囲まれて西へと移動しました。映画の中でも紹介されますが、ナンセンの船は氷結によって緯度84度で身動きが取れなくなり、ナンセンは2年近くも船内にとどまった後、ようやく下船してスキーで旅を続けましたが、北緯86度で命の危険にさらされたため、北極点到達を断念して引き返すしかありませんでした。ですが彼ほど北極点に近付いた人は過去にはいませんでした。どれほど北極点に近かったのかと言いますと、新幹線で東京と大阪を結ぶ距離と同じでした。その後ナンセンは遠方の様々な地域に自らの探検の講演旅行へと出かけました。そして拍手と賞賛を受け、権威ある賞を多数授与されています。


国際人

国際連盟は第一次世界大戦後に、明るい未来に向けて戦争を防止する目的で創設されました。ですがこの目的は果たされませんでした。それでも国際連盟は、諸国を1つにまとめて一連の社会的、人道主義的な原則や慣行を確立することに成功し、それが国際連合の様々な組織の誕生へとつながりました。世界保健機関、国際労働機関、そしてUNHCRもそのひとつです。

フリチョフ・ナンセンは外交官としての人生も歩みました。1905年にノルウェーが独立を果たし後、彼はノルウェー初の駐英大使となりました。そして第一世界大戦の後に、国際連盟の難民高等弁務官を務めるよう要請されました。ナンセンには名声があり、また弱い立場の人々を助け、貧困と戦争の犠牲者を支援したいとの情熱もあったので、人道主義の大義のために多くの資金を集めることに成功しました。フリチョフ・ナンセンの執着心、勇気、頑固さが多くの戦争捕虜、無国籍の人々、難民の命を救ったのです。

各国政府にとって、フリチョフ・ナンセンのような偉人を拒絶することは難しいことでした。国際連盟の難民高等弁務官の立場でナンセンは、ロシアから45万人もの戦争捕虜を帰国させることに成功しました。彼は、後にソ連となった地域(特に現在のウクライナ地域)の厳しい飢饉にも支援の手を差し伸べました。欧州各国政府は共産主義国家の支援には消極的だったにもかかわらず、食料援助の資金を見事に集めたのです。

フリチョフ・ナンセンはギリシャとトルコの間での難民交換にも大きな役割を果たし、アルメニア危機の解決にも貢献しました。アルメニアではナンセンは国家の英雄とされています。エレバンの国立博物館でナンセンがいかに華々しく紹介されているか、私自身も実際に目にしましたし、フリチョフ・ナンセンに感謝している親に「ナンセン」と名付けられたという多くのアルメニア人にも会いました。

フリチョフ・ナンセンはいわゆる「ナンセンパスポート」を無国籍者の旅券として発行し、52ヵ国による承認を得ました。ナンセンは現存する「無国籍者の地位に関する1954年条約」の先鞭を付けたのです。

フリチョフ・ナンセンが1922年にノーベル平和賞を受賞したのは当然のことと言えるでしょう。ちょうど明日、ノルウェーのノーベル委員会は今年の平和賞の受賞者を発表します。公式発表は明日なのですが、他の日本の皆さんがお知りになるよりも一足早く、ここだけの秘密ということで、今年の受賞者をお教えできればと思います。

本当にそうしたいのですが、やはりできません。というのも、実は私も誰が受賞するのかまだ知らないからです。ですがUNHCR自体が過去に2回、1954年と1981年にノーベル平和賞を受賞しているということは、ここでお伝えしておきたいと思います。

1954年にUNHCRは「ナンセン難民賞」という賞を創設し、米ドルで10万ドルの賞金を難民支援において優れた功績を残した個人またはグループに授与しています。日本の金井昭雄氏も、2006年にこの賞を受賞されました。ノルウェーの前国王と現王妃もこの賞の受賞者です。

過去20年にわたって東京のノルウェー王国大使館は、「フリチョフ・ナンセン記念講演」を、人間の安全保障の問題をテーマに国連大学と協力しながら開催してきました。緒方貞子氏も2001年に記念講演をなさっています。また去年は、ノルウェーのエリック・ソルハイム環境国際開発相が講演を行いました。ノルウェー国王陛下、ノルウェーの元首相であり世界保健機関事務局長であるグロ・ハーレム・ブルントラント博士、ノルウェー元首相クェル・マニェ・ボンデヴィック氏、現ノルウェー外相のヨーナス・ガール・ストーレ氏などの著名人も、来日の際にこのホールで「フリチョフ・ナンセン記念講演」を行っています。


UNHCR の功績と課題

フリチョフ・ナンセンの時代から、ノルウェーは難民の人権を強力に擁護してきました。ノルウェーは国際連盟の活動や国際連合の活動、特にUNHCRの活動に相当な貢献をしています。昨年のノルウェーのUNHCRへの拠出額は、米国、日本、EU、スウェーデンに次いで5位でした。ですが国民1人当たりの拠出額ではノルウェーは世界第2位です。またノルウェーと日本は両国の優れた難民高等弁務官によって、難民の窮状の緩和に貢献しています。緒方貞子博士は1990年にノルウェーの元外相トールヴァル・ストルテンベルグ氏の後を継いで難民高等弁務官に就任しました。

来月、現在の国連難民高等弁務官であるアントニオ・グテーレス氏が来日されるのを楽しみにしています。またこのホールではUNHCRの功績や課題、1951年条約への加盟以降30年に及ぶ日本の貢献についてハイレベル・シンポジウムが開催される予定なので、これも楽しみに思っています。特に今後は、国家間の戦争ではなく内紛によって国内避難民となった人々の窮状や、現代の文明と自然の衝突によって生じた環境難民の窮状が懸念されます。この6月にノルウェーは「気候変動と環境難民に関するナンセン会議」を開催し、「ナンセン原則」-気候変動による難民化の防止と難民保護に関する行動原則を打ち出しました。

ではこれから、「Only one life」を上映いたします。ナンセンの多彩な生涯を題材に1968年に製作されたこの作品には、1世紀前の世界の状況が描かれています。この映画は、人々の団結の必要性や困窮している人々への支援の重要性は今も昔も変わらないことを物語っています。ここ日本でも3月11日の大震災によって多くの命が失われ、多数の方々が避難を余儀なくされており、様々な苦しみや被害が生じています。

それではみなさま、今夜の映画の中でフリチョフ・ナンセンという偉大なノルウェーの英雄との出会いをお楽しみください。

なお明日も別の映画をここアークティックホールで上映しますのでぜひご覧ください。明日は、UNHCR映画祭の参加作品の中からタイのドキュメンタリー映画を上映します。ビルマからタイやバングラデシュに逃れたイスラム教徒のロヒンギャ族が、生存と尊厳ある生活のために苦闘する様を描いた作品です。



アルネ・ウォルター
駐日ノルウェー王国大使 


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