国際人道法の尊重に向けて
パトリシア・エスピノサ(メキシコ外相)、ミヒャエル・シュピンデルエッガー(オーストリア外相)、ヨーナス・ガール・ストーレ(ノルウェー外相)
2008年クラスター爆弾禁止条約の加盟国は、苦労の末に実現させたクラスター爆弾の国際的な禁止をどの程度尊重しているのかを今月中に世間に示すことになる。特定通常兵器使用禁止制限条約(CCW)の来たる運用検討会議において、現行の国際人道法を損なう恐れのある新たな法律文書が策定されるかも知れないのだ。
クラスター爆弾は悲惨な結果をもたらし、ときに数百にも及ぶ子爆弾が一度に広範囲に爆発することから、「軍事目標と市民を区別する義務」に関して特に問題の多い兵器とされている。また多くのクラスター爆弾は計画通りには爆発しないため、不発弾が多くの地域を汚染し、人命や人体に深刻な危険を及ぼすとともに土地の生産的利用を妨げている。東南アジアでは戦争終結から数十年を経た今でも、ラオスはクラスター爆弾の使用の影響を受け続けている。別の悲惨な事例として、2006年の南レバノンにおけるクラスター爆弾の大量使用も、人道上受け入れがたい状況をもたらした。
2008年のクラスター爆弾禁止条約の採択は、国際人道法の発展における重要な出来事であった。100カ国を超える国がクラスター爆弾の使用、製造、移送、保管の全面的禁止に賛同した。対人地雷の禁止を目指す1997年の地雷禁止条約と同様に、CCMも軍事的有用性よりも人道的配慮を優先させることによって締結されたものだが、両者には以下の点で大きな違いがある。すなわち、1990年代までに大量の地雷が配備されたのに対して、クラスター爆弾の使用は(少数の明らかな例外はあるものの)かなり限られてきた。このようにCCM は、クラスター爆弾の使用を禁止することによって無差別兵器の主要な抑止効果をもたらし、国際人道法に稀なる貢献をしてきた。
加えてCCMに関して人道上の議論も展開された結果、法的規範が策定されたのに加えて、クラスター爆弾の使用は政治的汚点とされるようになった。クラスター爆弾の使用国は、条約によって法的に拘束されているかどうかに関わらず、より大きな政治的代償を支払うことになったのである。ところが今、こうした努力の成果が損なわれつつある。
過去4年間、ジュネーブにおいて水面下で交渉プロセスが続けられ、今月の終わりには交渉の決着が見込まれている。2008年にCCMが採択されて以来、今もクラスター爆弾を所有し続けている諸国はCCWとの関連上、CCMの代替案の作成に取り組んできた。そして当然ながら、この代替案が目指す禁止のレベルはCCMよりもはるかに低い。代替案では、極めて旧式のクラスター爆弾の禁止と、より新しい爆弾の限定的な使用制限、更には長い猶予期間が提案されている。こうした案を出しているのは、クラスター爆弾の全面的禁止を(人道上の懸念に取り組むための正しい措置として)支持する立場を取っていない諸国だ。また、CCWにも加盟しているCCM加盟70カ国もこうした中間的措置を当然支持すべき、との意見がある。
だがこれは適切なアプローチではない。代替案で提案されている制限内容では、人道上深刻な問題をもたらすクラスター爆弾を正当化することになる。更に、クラスター爆弾に関して第二の軟弱な国際規範を策定することは、クラスター爆弾に対するより強い法的規範を損ない、政治的批判をかわす手段を与えることになる。これでは国際人道法の最も不運かつ予期せぬ後退であるばかりか、市民の保護を強化するための文書であるはずのCCWの乱用にもつながりかねない。国際人道法を保護する立場にある国際赤十字委員会は、「この代替案はクラスター爆弾による市民への被害を防止するどころか永続させる恐れもある」としている。このような文書を採択するというのは、人道的観点からかつてなく憂慮すべき事態なのだ。
クラスター爆弾の実際の使用は近年劇的に低下している。これはこの爆弾の使用が人道上や開発上受け入れがたい影響をもたらす一方で、軍事的有効性は限られているとの一般認識によるものである。こうしたことから、クラスター爆弾の及ぼす具体的な影響並びに国際人道法の改善と進歩について、全関係者の間で今後も対話や協力を続けることはできるはずであり、従って代替基準を策定する必要はない。
人道上の価値を増すような誠実な中間的措置を軍事大国が取ることは歓迎する。軍事大国はこのような措置を国内において取ることができるし、また取るべきである。2008年以降CCMは国際標準となっており、クラスター爆弾に対するこの既存の規範を故意かどうかに関わらず損なう恐れのある新たな法的基準を作成することは、国際人道法の歴史上、先例がない。CCM加盟国には今、重大な疑問が突き付けられている。「クラスター爆弾の全面禁止に向けた取組みを、かかる兵器の継続的使用を認めつつ進めることはできるのか」という疑問である。我々は、それは不可能であり、国際人道法の深刻な後退につながる行為であると考える。